2011年09月08日

引っ越します

このブログもけっこう皆さんに活用していただいているようです。

公式のHPができましたのでお引越しです。

ついでにかなり加筆するつもりです。


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2008年05月23日

2008年05月21日

エゴギョウ講座46


わたしたちの内部には5人の異なった性質の人物がいます。

1(火性)好奇心満点遊び人の子供
2(土性)人とつながることで満足感と安心感を得る人
3(金性)競争や勝ち負けにこだわり不機嫌になりやすい人
4(水性)人の様子が気になり、機嫌を取り結ぼうとする、依存的子供
5(木性)得か損かの判断をする冷静に検討する人

この中で最も重要な人物は1と2の人です。本当は他の3人は必要では
ありません。というよりもこれら3名は、本当は実在しない幻想の人物
なのです。

これらはつとめて社会的な人物たちです。そして社会は幻想です。この三名はその幻想に意味を与えている人物たちです。
不平等で競争的で安心できない社会でこそ醸造された人たちです。

自分たちのことを人と言い、その他の地に住む人のことを「人でない人」言うアマゾンの奥地に住む部族があります。そこには支配者がいません。

みんな平等です。そこでは大人も子供も狂ったように泥遊びをすること
があります。一人の子供が亡くなると数百人の村人全員が泣き叫びます。

だれにも親身になり心配します。
そこには威圧する人がいません。人の顔色をみておどおどする人もいま
せん。失敗を恐れる人もいません。
損得を考えてケチな考えを起こす人もいません。
その必要がないからです。

狂っていない社会では1と2の人物こそが実在します。わたしたちの社
会は狂っているので3,4,5の人物が生きるために登場することにな
ります。狂った社会に適応するための狂った3名の人物たちです。

しかし、こういう狂った社会だからこそ、人間らしくあるために1,2
の人物がよりしっかりしないといけません。
1,2が弱ってしまっては本当に狂うからです。

自分の中に棲む少年少女をもっと、
もっとあやしてあげましょう。

ご苦労様でした、これでエゴギョウ初級を終了します。
25日東京でお会いしましょう。
posted by 変才先生 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座 入門編45

ではどうすればよいのでしょうか。食べ物を彼女のように徹底的に噛み切ることから始めるのです。良くない社会だからこそ個々はより主体性をしっかりと持つ必要があるのです。

エゴギョウで言えば、フラフラした火性から、自分の内側に有る可能性を信じる火性につくりかえるのです。それには木性の判断力を鍛える以外にありません。木性は「カンガエル」場です。

カンガエルとはカムとカエルからできています。噛むことで食べ物をしっかり自己に変えるということなのです。自己を強化する方法です。

また、「カンガエル」は「カミガエル」であり、神の立場になって考える意があります。これは自分の利益や得失から離れて客観的な立場で考えるということですね。木性は火性を育てると言う関係から、判断力を備えた永遠の少年少女になろう、ということです。


土性と求めない愛について
「アガペの愛」とは無償の愛のことです。ひたすら相手の幸福を思って、それ以外は求めないということですね。たとえば木性よりも土性が高すぎる人はその思いが過剰のため相手の応答が期待に外れた時「あんなにしてあげたのに!」という思いが残ります。この思いは憎しみに転化しやすくなります。アガペーの愛とはキリスト教の無私の愛の概念ですが、日本にもあります。

情は人のためならず」には三つの解釈があるようです。
1情けをかけることは、その人を甘やかすことになりためにならない。
2情けをかければ巡り巡って自分によい結果が返ってくる。
3情けをかけるのは、そうしたい自分の欲求があるのだ。情けをかけさせていただく機会を与えてくださってありがとう!

1は木性の過剰であり、冷淡な態度になるかもしれません。土性が木性よりも少ない人の解釈です。
2これはビジネス的な考えを出ていません。隠徳を積めば成仏する、なども同じですね。
3これだとアガペーの求めない愛と結果として同じことになります。
土性の過剰な方は注意する必要がありそうです。

木性が土性をやっつけると・・・
 日本人は土性の過剰で悩みをつくります。尽くしたあげくに、「してあげたのに・・・」という気分が、嫉妬や恨みをつくります。
 逆に木性の判断力が過剰で土性の共感能力を阻害する場合があります。

脳にはいつも風が吹いています。それが気分というものです。大きな風は意識化されやすく(つまり言葉で説明できる)、微風は無意識にとどまります。意識はそれを無視するということです。表現されなかった小さな風は脳のどこか、あるいは臓腑のどこかに吹き溜まり、堆積し化石となります。

今日事務所に来られた女性の話です。
「元気がないのです。元気をつけてくれるところと聞いたので・・・」
が最初のお電話でした。

「なんか玄米食べて、歩き方を教わると元気になると聞きました」
 最近こうした相談が激増しています。(苦笑)
 ところが顔を見て話をすると妙な具合で、いつものパターンとは違います。

 私のいう言葉にいちいちひっかかって説明を求めます。説明するたびに納得されるのですが、どこか変なのです。理屈が通らないと実行できない、ということです。
「だって感情に流されて従っていると失敗し、損をして自分を守れなくなるでしょう?」

彼女は水性が十六点、木性十四点、土性十点、金性火性十三点です。
 こういう人は食べ物は美味しいという理由だけでは選びません。火性の高い人は感覚的ですから「美味しい」というだけで選びます。
彼女は火性も高めなので「美味しい」というのは選ぶときの条件です。でも、もう一つ必須条件があります。

それは身体によいかどうか、損か得かという判断です。遊びに行くのも同じで、もう一つ遊ぶに足る理由がないといけないタイプです。もう一つ理由があれば得で、無駄がないというわけです。

 ところで、こうした考え方は彼女だけではなく現代人固有のものです
ね。「牛乳はカルシウムが多いから飲む」これも一例ですね。カルシウムという一栄養素に焦点をあてています。意識化ということで
す。それだけに全体がぼやけてしまっています。

 いったい牛乳はなんのためにあるのですか?
こう聞くと多くの人がカルシウムを摂取するために、と考えるのです。
「それは人間から眺めた考え方でしょう?本当は牛乳ってなんなのですか?」と聞くとしばらく沈黙することが多いですね。
 答えは「牛の子のためにある」というきわめて当たり前の解答です。

 意識化とは人間中心に考える思考方法ということです。損か得か、役に立つか、という思考方法です。糖質やたんぱく質、脂肪は一日にどれだけ取ればよいか、ビタミンCは必要量はこれこれで、この食べ物には何ミリグラムある・・・。

これが意識化された食べ物の選び方ですね。
 美味しいから食べる。これは自然界からの声。得だから、必要だから食べる。これは社会意識で人工的なものの声です。

 意欲は自然界から吹き渡ってくる風です。

ある年齢になると異性を好きになり「なにがなんでもあの人のそばにいたい!」好きになるのは、それは自然の声です。「うんこをしたい!」これも自然の声。論理ではないのです。

論理だとこうなります。「aさんは好きだけど、学歴はないし、勤めている会社も小さい。給料も安い。でもbさんは会社も有名だし、出世しそう。すきでもないけど嫌いでもない。さて、どっちが得かしら・・・」もしも湧き上がってきた意欲が役に立たないもの、むしろ損になると意識が判断するとどうでしょうか。

人工物である意識が、そうした欲求を無視すると、その欲求はやがて微風となり、隅に追いやられ、やがて化石化して堆積します。欲求は実現されないので、欲求が減衰します。

 これが「元気がない」原因となるのです。
 感覚に聞く態度を育てないといけません。欲求という風を感じないとなんのために生きているのかわからなくなってしまいます。私たちは損したり得したりするために、生まれてきたのではありません。損得が生きる目的になるとすると、恐ろしいことです。

意識化に偏るというのは人のコンピュター化です。


<24>

十二歳の子供を捕まえられるように少年法を改悪する動きがあります。
これは人工的な社会が自然物の代表である子供を捕まえようということですね。都市は自然物を一掃しようとしています。都市とは完全に意識化の産物です(養老猛さんの説)。

であれば、自然とは無意識ということになります。
わたしたちの意識は金性であり、無意識は火性です。金性は父性であり、都市化された社会であり人工物です。火性は自然であり、無意識であり、子供です。

都市化とは自然の駆逐であり、これは金剋火の逆剋になっているのです。
逆剋は病態ですね。ですからこのたびの少年法改正案は悪法なのです。
自然物である子供を罰するということは、社会が自然を罰するという行為なのです。

少年犯罪が凶悪化しているということで考えられた法律でしょうが、そもそもなぜ少年が凶悪化したかなのです。自然のままの子供は当然反社会的な存在です。それを順化させるために教育があります。

自然の性質を刈り取り過ぎないようにして、むしろそれを活かさねばなりません。

社会に過剰適応させるような教育が叛乱を生んだのです。山も開発が行き過ぎれば氾濫をおこし土砂崩れがおきる、ということですね。

制限の行き過ぎなのです。そもそも制服がいけません。なにを着るかはその子の感性であり、衣服などは趣味の問題で子供にまかせるべきことでしょう。制服(ユニフォーム)は過剰適応を強いるものです。そんなものは奴隷根性を作るためにあるものです。

会社の制服も同じです。
まして君が代の斉唱を強いるのは問題なのです。卒業式は子供のためにあるものですから子供に式次第はつくらせなければいけません。

さて、問題なのは今回の少年法のような法律をあなた自身があなたの中の子供に強いていることはないでしょうか。

あなたのなかに棲んでいる子供をその法律で罰したりしていないでしょうか。他者のなかに棲んでいるその人の子供性を罰していないでしょうか。

子供に罰を与えすぎると、子供は元気がなくなり、やがてあなた自身の精気が衰えてくるということになります。制限も行き過ぎると窒息してしまいます。

ユングは人の内部に存在する巨大な無意識を発見したわけですが、東洋ではその存在はあたりまえのように考えてきました。ヨーロッパは早くに脳が都市化したので、その存在が忘れ去られたのです。

意識の強化は部分思考を伴い、自然のほんの一部しか視野に捉えられなくなってしまったのです。西洋人にとっては無意識の存在は盲点でした。

意識化の強化は無意識を抑圧し、やがて無意識の氾濫を呼び起こし破綻するとユングはいいました。

それは無意識化にまで追い詰められた子供の大人への反逆です。
灰色の部分を大切にしないと破綻します。遊びのスペースとしての手入れされた里山を作っておきましょう。

自然である山と意識化の産物である村の境目としての場所です。
それは少し手入れされた子供の遊び場所なのです。
posted by 変才先生 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載エゴギョウ講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

エゴギョウ講座44

彼女はこう書いています。
「本当は、中学時代から音楽に興味があったのにもかかわらず、自分自
身の可能性を信じることができないという理由で、趣味のまま止めてお
こうと思っていました」

なぜ、自分の可能性を若いみそらで信じられなくなっていたのでしょ
うか。
それは非常に深い問題が横たわっています。
心は、虚のいのちの三つのシステムから考えると、自然に属するもの
であり、意識は2.3の社会構造に起因するものです。その社会のなか
であなたがどうした立場で存在しているかで意識は形作られるのです。

「自分が信じられない」という現象は社会から与えられた意識です。
その意識が無限の能力を有する心を制限し否定にはたらいたのです。
心、生理、自律神経、食と動き・・・、これらは自然に属するものです。
意識は社会的な現象でこれは人工物です。
意識が心を過度に制限する・・・。

これは変換すれば「自然と社会の敵対関係」として考えられるのです。
この場合は社会に自然が屈服した状態です。人類が意識的に社会を形成
して以来、その社会は自然に対して友好ではなく敵対してきました。自
然とは人類が屈服させ、意のままに従わせる存在!

そういう歴史でした。自然は人類のための資源であり、奪うものとい
う考え方です。当分これからもそうした考えは続くでしょう。

心は自然界に属するものなので非常に深く、すばらしい潜在的なエネ
ルギーと能力を持っています。

意識はその心から恣意的に今役立ちそうなものだけをつまみ食いして
いるだけです。心の判断力は儲けるためにだけ、火性の「やる気」は企
業に役立たせるためだけ、金性の向上欲は競争心を煽るだけです。


社会と自然との敵対関係は心と意識との敵対関係に構造としてつなが
っています。意識は心がしたくないことを命令して従わせようとします。

戦争がいい例です。だれも人を殺したいとは思わないのに、その時の属
する社会が人を殺せと心に命令します。社会がその人の意識に働きかけ
人殺しができる意識をつくります。

戦争ができる世界や意識は、自然とも敵対する質を必然的にもってい
ます。未来に予定されている自然と和解できる社会は、意識と心が仲良
くできる社会でもあるのです。

現代の日本の社会は若いうちに希望の根を砕き、自分を取るに足りな
い存在と思わせます。自尊感情が育たなく、簡単に苛めから自殺も選ん
でしまいます。「自分の可能性を信じられない」若い人々は増加の一途
です。社会に自分の虚のいのちが存在しづらく、社会に生き生きと息づ
く余地がなくなりつつあります。

いのちが存在できる場がなくなってきているのです。
posted by 変才先生 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載エゴギョウ講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座43

第二章の○ページの音大受験の娘さんの話を読まれてからどうぞ。

「あすなろ日記」の左側カテゴリー「私の哲学」のなかのの「いのちについて」NO17を参照

心とはなにか、

それは世界全体から眺めてみてどのあたりの座標に存在するのかを考えてみないと理解できません。

彼女が集中できなかったという心は生理が揺らいでいたからです。生
理機能という鏡餅に載ったミカンは心のこと。生理機能という鏡餅が揺
れるのは、その下の自律神経というもっと大きな鏡餅が揺れるからです。
病気が発生するのは自律神経の段階です。では、なぜ自律神経が揺らぐ
のでしょうか?
実は自律神経という鏡餅を載せているもっと大きな鏡餅があるのです。
それが揺れるので全体が大きく揺れて一番上の心というミカンが危う
く落ちそうになるのです。落ちた状態が心の破綻という病です。

では心、生理、自律神経を載せているもっとも大きな土台の鏡餅とは
なんでしょうか?
それは「食と動き」なのです。
心とは食と動きの結果なのです。
現代人はここが間違ってしまっているので「一億半病人」となってい
るのです。食べることと歩くこと、この動物として基本的な事柄が揺ら
いでいるのです。

動物、動く物と書きます。植物は大地に固定されて幸せ。動物は動い
て幸せ。歩けば疲れるのではなく、歩けば歩くほど快になり幸せになる
のが動物なのです。歩きたくないという気分はすでにして不幸の状態な
のです。

快眠、快食、快便に快足を加えれば万全です。
彼女は音楽の勉強をしたいと痛切に願いました。
でもそれへ向かって動くには不十分でした。
そこで食を変えたのです。

すると集中力が生まれ目的に向かって動きが始まりました。自律神経が正常に動作をはじめ、夜更かしがなくなり、生理が正常になりました。結果として心はより安定しました。

「一年間の半分は遅刻、出席しても授業は眠っていました」と書いて
います。これは、穀物が非常に少ない食事をしていたこと、朝食もごは
んは食べていなかったはずです。聞けばお菓子が主食になっていたそう
です。脳は糖質を必要としていますから、安定した血糖値が維持されて
いなければなりません。

ごはんをしっかり朝から食べていれば血糖値が安定して居眠りはなかっ
たはずです。居眠りがなければ、夜更かしもなかったはずです。一日の
生活リズムは朝から始まります。無理してでも早起きして、しっかりご
はんとお味噌汁をいただくことですね。
posted by 変才先生 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載エゴギョウ講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座番外編3

エゴギョウ講座余談
木から水まで一応五行を簡単でしたが一巡しました。
今回は少し余談、いえ脱線しましょうか。

特性別プロポーズ法はどうでしょうか。
火性の高い女性の口説き方
「あなたを一生遊ばせてあげる」

火性と土性が高い
「一緒に楽しくあなたと一生を過ごし
たい」

土性の高い女性
「あなたの手料理を一生食べたい」
あるいは
「死ぬまであなたにめんどうを見て欲しいのです」火性の男性であればよい。

金性の高い女性
「あなたの好きなように家を建てま
す」

水性の高い女性
「一生を守ってあげます」

木性の高い女性
これは難しいですね。だいたい結婚をしたがっていないのですから。
男性も高学歴、高収入という資格が要ります。
「決して損をさせない」
なんていうのはどうでしょうか。

夫婦相性編
最悪のケース
両方とも金性が高い。
いつも私の前でののしりあっていた夫婦がおられました。

少しの違いが大きな違いで、両者譲歩しません。譲歩すると負けたような意識になるのですね。
両者意地の張り合いをします。
この場合土性の強いほうが妥協します。水性も強いほうが折れますが、この場合は後をひきます。

火性も土性も両者高い夫婦は友達のような関係になります。
火性単独の場合は趣味が一致すれば一緒にでかけますが、多くはそれぞれ単独で遊びまわります。

土性の不一致
女性が土性高く男性が低い場合は、その関係は長続きしません。一見夫
婦関係を保っていても、家庭内離婚の様相です。男性側に女性の豊富な情を受け止める度量がないからです。

女性が火性高く男子が土性高い彼女の我がままにひたすら甘く、彼
女側から見れば時々「ほっといてね」という感情もでてきます。

男性が火性高く女性が土性高い場合は、男性が相当年上でも女性から見れば子供に見えています。幼い子供に接するような態度を見せます。

あなたの奥さんが世話焼き女房だったら、
あなたは彼女の目には子どもとして映っているのです。
posted by 変才先生 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座42

ここで相性について考えてみます。

「どうもあの人は蟲が好かない、なんとなく感じが悪い、親しく
なれそうにない、気が合わない・・・」人間関係に関する言葉は多いですね。

でも蟲が好かない人でも、その人はだれかとは気があっていたりするのです。会社では強面(こわもて)の人でも家では子供や奥さんには優しいかもしれません。恐妻家かもしれないのです。

つまり感情は関係性で決まるのです。感情は関係性で誘発されます。
余談ですがついでに言えば「良い人や悪い人」が絶対的にいるわけではないということがわかります。

すべて相対的です。20度の水に50度の水を混ぜると温度は上がりますが、100度の水に50度の水を混ぜると温度は下がります。同じ50度ですが、関係性で働きが違ってくるのです。

したがって「良い食べ物や悪い食べ物」があるわけでないということもわかります。誰が食べるかで「良いか、悪いか」が決まるのです。ある怠け者の男が離婚して、違った人と再婚すると人が変わったように働き始めることがあります。

これも関係性から起きた現象です。右手だけでは音がなりません。
左手だけでも無理ですね。両方がそろってはじめて音がなります。右手は陰、左手は陽。

陰陽が引き合って音という現象が起きるのです。
それは人との関係性だけではなく、自己の内面でも同じ現象が起きているのです。

心にもその陰陽原理が働いています。怠けたい陰の心と陽の動きたい心がせめぎあいます。

内面に存在する五行とは五人の人があなたの内面に棲んでいるということなのです。その相性が悪いと、あなたの感情はいつも不快です。嫌いな人がいつもそばに居るようなものですね。

火性の子供が楽しくいようとすると、金性の厳しい大人が「そんな怠け者では生きていけないゾ、頑張れ!」と叱咤します。その厳しい大人も、昨日の自分と競争して頑張っています。きのうの自分が嫌いのようです。

外の人間関係性は、実は内面のそうした五行の葛藤性が反映します。自己の内面の嫌いな部分を他者が持っているとやはり「腹がたちます」自分が嫌いな人は嫌いな人をたくさん持ちます。

自分が不幸な人はやはり他者を攻撃批判します。
posted by 変才先生 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載エゴギョウ講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座41

さて木性は前頭葉、眼、肝臓に大きく関係します。

すべて酸素を大量に消費します。息があがった酸素欠乏状態ではなにも考えられないわけです。同時に運動不足状態では酸素の要求量が低下してしまい、やはり酸欠となり思考力が低下します。

FBA計測において胆を運動、肝を酸素というキーワードに置き換えた意味を理解してください。

木性は考えます。「考える」とは「カミガエル」「神に帰る」という意です。

それは自分の立場を捨てて客観的立場に立つという意味です。「神の立場で考える」ということなのです。言い換えれば私を捨てて公を立てることです。

「カミガエッタ」結果、私の利が立たないことが判明してもそれに従う。これが考えるということの本当の意味だったのですね。
posted by 変才先生 at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エゴギョウ講座40

木性は「考える」役割をもっています。

その役割である前頭葉は人間の座っているところです。木性の肝は「策謀する官」といわれています。胆は決断の役です。あれこれ考えるのは肝、決定は胆です。

胆(ハラ)が座っていない人は考えてばかりで決断ができないのです。油濃いものが好きな人は胆が不活発なので決断できず、迷ってばかり
います。

今川義元が桶狭間で大雨のため休息をとっていたところを急襲したのは織田信長でした。
信長の運はここから急上昇です。「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり.・・・」.と幸若舞を舞った後「お濃! 湯漬けをもて!」でなく天麩羅をもってこい!だったらどうなったでしょうか。
きっと「大雨だし、なんだかいやだな〜、晴れてから考えよう・・・」ということになり桶狭間の奇襲はなかったかもしれません。

FBA計測でこの胆が低下している人は決断力も鈍くなっており、決断しても的確でないので失敗も多くなります。
現代という時代は情報量が多すぎあれこれ考えてばかりになりやすく、高脂肪食で判断力も決断力も鈍くなっています。

さて木性は前頭葉、眼、肝臓に大きく関係します。
すべて酸素を大量に消費します。息があがった酸素欠乏状態ではなにも考えられないわけです。同時に運動不足状態では酸素の要求量が低下してしまい、やはり酸欠となり思考力が低下します。

FBA計測において胆を運動、肝を酸素というキーワードに置き換えた意味を理解してください。
木性は考えます。「考える」とは「カミガエル」「神に帰る」という意です。
それは自分の立場を捨てて客観的立場に立つという意味です。「神の立場で考える」ということなのです。言い換えれば私を捨てて公を立てることです。

「カミガエッタ」結果、私の利が立たないことが判明してもそれに従う。これが考えるということの本当の意味だったのですね。
posted by 変才先生 at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 連載エゴギョウ講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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